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職員さん

介護職は安月給の代名詞だが、この理由は、職員自身にもあると言わねばならぬ

【介護職の所得が低いのはなぜか。事業構造それ自体に問題があるのは言うまでもない。が、そこで働く人々にも、おおいに理由があるのだ。 もろみ五郎】

職員A「五郎氏の言うとおりだな。確かに、儲からない構造になってはいる。なんせ、加算獲得合戦の場だからな」

職員B「そうなんですよねえ。夜勤何名でいくら加点、看取り何名でまた加点、って具合で、介護保険の点数をいかに上げてゆくか。これが経営者の腕の見せ所ですものね」

職員A「そうなんだよな。高収益の商品やサービスを開発してそれを大量に流通させて儲ける、っていう、営利企業が普通にやってるようなことができない。いきおい、加算分捕りの方向に向かざるを得ない」

職員B「でもそうすると、点数増に伴って、業務量も増えますからねえ。職員一人当たりの還元率は下がりますね」

職員A「うん、確かに。ただ。そういった構造的な問題以外に、個々の職員の質という点も無視できない。今回の論点はここだ」

職員B「そうですよねえ。びっくりするぐらいに無気力だったり、虐待に近いほど暴力的だったり、とんでもなく横柄だったりと、福祉の仕事以前に、社会人としてどうなの、って問いたくなる輩が少なからずいましたねえ」

職員B「そうそう。私が働いていた老健では、利用者の男性に向かって、そう、面と向かってだよ、こう言い放った女性職員がいた。

あんたなんかねえ、息子に殴られて死ねばいいんだよ。

…耳を疑ったよ、このときは」

職員B「その職員、まだいるんですか」

職員A「たぶんね。人手不足だからな、明らかな犯罪行為でもなければ、クビにはなるまい」

職員B「嘆かわしいですよね、ほんと。今の例ほどじゃないんですけど、僕がいた特養で、看取りで余命いくばくもない利用者さんの部屋から出てきた女性職員がですね、

ねえ、もうじき死ぬ人の部屋の中って、独特の臭いがするよね。

…死臭がするって言いたかったんでしょうかねえ」

職員A「暴言もいいところだな、全く。まあ、その程度の意識しか持たず働いてる連中というのは、決して少数派じゃないんだよな。食事介助の方法にしても、鶏にエサ上げるときの方がマシだな、って言いたくなるようなやり方が堂々とまかり通る。入浴介助だって、大根を洗うようにして、さっさと流れ作業で終わらせてしまう」

職員B「そうですよね。でも、そういった介助技術や個々の業務のやり方以前の問題として、被雇用者としての意識の低さもあると思うんですよ」

職員A「それなんだな、実際。賞与の支給が2か月遅れても、誰も文句を言わない。もらえりゃいい、って姿勢なんだな。どこもそうとは言わないが、働く者の権利という視点が弱いんじゃないだろうか」

職員B「それとですね、一般企業では普通にできてることができてない、っていう点も指摘したいですね。例えば在庫管理。オムツ等の衛生用品の管理がいい加減なんですね。何があと何ケース残ってるか、誰も把握してない。食品その他の廃棄ロスが出た場合、具体的にいくらの損になるか、誰も勘定しようとしない」

職員A「そうだよなあ。まだまだ出てきそうだけど、この辺で締めよう。まあ、要はだな、職業人としても、専門職としても、いずれも大きな疑問符を付けざるを得ない労働者が目立つってことなんだよ」

もろみ五郎「その通りである。君たち、もしも自分がその施設の経営者だったら、と考えてみるがいい。その程度の従業員に、世間並みの給料を払おうと思うかね」

両職員「思いません」

(了)

1430字

 

 

 

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認知症をもの忘れ病と思っている世間に、われらはもの申す。

【少し前だが、ある医者が『スマホ認知症』なる言葉を使っていた。かつて ”痴呆” と呼ばれた状態に対して、もっとも良き理解者であって当然の医師にしてこれだ。嘆かわしいことこの上もない。 もろみ五郎】

職員A「五郎氏の言葉には補足が必要だな。要は安易に『認知症』という症状名を使うなと言いたいわけだが」

職員B「そうなんですよねえ。この医者は、スマホばかり見てると記憶力が弱くなるだとか、言ってみれば

スマホ呆け

…みたいな意味で言ったんだと思うんですよね」

職員A「そうなんだよな。でも、それが安易なんだよ。もの忘れのひどい状態=認知症、という認識を、さらに広めることになるからね。認知症介護の現場で働く人や、家で身内のお世話で心身をすり減らしている人には、この医師の言葉のどこがおかしいか、当たり前にわかるだろうがね」

職員B「そうですよねえ。認知症の症状が進んでいくと、最も大変なのは 人格変化 ですよね。まるで別人になってしまったかのような」

職員A「そうなんだよな。昔から慣れ親しんできたわが母が、父が、妻が夫が、或いは兄姉、弟妹がだな、どこの誰だかわからない人になってしまうわけだ。もちろん、ここまで深刻な状態に至らず最期を迎える方々も多いから、悲惨な病気という認識を広めるのも駄目だがね」

職員B「つまりですね、忘れやまいだと簡単に公式化するな、と当サイトは言いたいんですよね」

もろみ五郎「その通りである。しかもその空気を煽っているのが、他ならぬ医師なのだからな。話にならぬわ」

職員A「何ですかね、売名行為か、ちょっとした話題のつもりか、はたまた診療所の新規開業資金がかさんで金が要るのか、理由は定かじゃありませんがね、患者の味方であるはずの医者が先頭に立って使う言葉じゃないのは確かですな」

職員B「まあ、でもですね、世の中ちょっと見渡してみれば、その手の無責任発言なんて、それこそ掃いて捨てるほどありますよねえ。ああ、嫌な時代だなあ」

職員A「そうだよな。今は昔と違って戦争のない、自由でいい時代だ、というのは、戦後復興後から今までずっと言われてきたんじゃないかな。でも、はたしてそうなのか。敵国が攻めてこないだけで、人間同士の陰湿な潰し合いは、延々と続いてきたんじゃないだろうか。私はそんな気がするね」

もろみ五郎「全く同感である。言葉に殺される例は、ネット上では珍しくなくなりつつあると言わねばなるまい」

職員B「そうですよねえ、匿名の誹謗中傷なんて、まさにそうですからね」

職員A「こんなときこそ、医師のような、高度な知識を持った専門職の出番だと思うんだがね、実際には『スマホ認知症』ときたもんだ。医者は聖なる職業だと私は思ってたんだが」

職員B「教師の盗撮が問題になってますけど、かつて聖職と思われていた職業領域が、ことごとく腐臭を放っているのが現状ですねえ」

もろみ五郎「全く同感である。医師の不適切発言と教師の不適切行為を強引に結び付けている、と思うなかれ。職業人としての誇りを失い俗に流れたら最後、行きつく場所は同じなのだ。まあ、当サイトは介護について語る場であるから、ここはひとまず、ごく一部の不心得医師に対して、

君たち、初心に帰り給え。

…とだけ忠告して終わるとしよう」

(了)

1343字

 

 

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職員さん

人生の大先輩に向かって、その口のきき方は何だ

【これはあくまで試運転記事である。いずれはまともなサイトにしたいと念じてはおるが、なんせ失敗続きの当サイトは、負け癖がついている故、恐る恐る始めるのである。もろみ五郎】

職員A「おい、今度は老人介護のサイトを始めるらしいぞ」

職員B「五郎氏、いろいろ考えはするんですがねえ、何やっても続かない人だから」

職員A「遡ればだな、

<物語道場! byもろみ五郎>

<エルトンジョン不滅論>

<破壊の為の小道具>

…とまあ、手を変え品を変えって具合で、自分の気に入った内容を模索するんだが、すぐネタ切れするんだな、これが」

職員B「ネタ切れっていうか、気持ちが続かないんですよねえ、五郎氏の場合」

職員A「何事も考え過ぎるからな、あの人は。でも、今回でようやく、氏らしい内容に落ち着きそうな気がするんだな、私は。君はどう思う」

職員B「まあ、そうあってほしいですがねえ。今までにぼくらも、エルトン・ジョン愛好家だったり、日本語の乱れを嘆く人物だったりと、いろいろな役を割り振られてきましたから、もうこのあたりで役柄を落ち着かせたいですしね」

職員A「しかし何だな、冒頭の挨拶文で五郎氏、『失敗続きの当サイト』と言っているが、無生物主語はやめてほしいものだな」

職員B「そうそう。失敗続きなのは、サイトじゃなくて、それを運営する五郎氏自身ですからねえ。不可抗力による災難みたいな言い方はよくないですよね」

もろみ五郎「君たちに言われずともわかっておるわ。だからいろいろ苦労しておるのではないか」

職員A「はあ、苦労ですか。例えばどんな」

もろみ五郎「今年から、認知症グループホームの夜勤専従職員として働き始めた」

職員B「ただ転職しただけでしょ。どこが苦労なんですか」

もろみ五郎「月10回の契約なのだ。還暦を過ぎた身にこたえる」

職員A「それはしょうがないでしょう、夜専はそのぐらいの回数こなさないと、月30万いかないんだから」

職員B「そうそう。自分で選んだ道でしょ。何か特別な苦労があるんですか」

もろみ五郎「始めてそろそろ半年になるが、すっかり昼夜逆転して困っておる」

職員A「昼夜逆転介護士ですね、業界初だ」

職員B「やりましたねえ。業界紙が取材に来るかもしれないですよ」

職員A「そうだな、<シルバー新報>あたりが来るかもな」

職員B「マンネリですからねえ、あの新聞は。いい加減、テコ入れしてほしいもんですよね」

もろみ五郎「よその悪口はやめるがよい。当サイトが有名になれば、業界紙が取材に来るかもしれぬ。今から仲良くしておく方がよかろう」

職員A「取らぬ狸のナントカですな。まあ、夢想するのは勝手ですが、今度こそまともな内容にしてくださいよ、ほんとに」

もろみ五郎「他人任せな言い方はやめろ。みな、君らの努力と工夫いかんにかかっておる」

職員B「サイトの基本設計しだいでしょ」

職員A「で、何ですか、この記念すべき第一回は。ずいぶん妙な表題がついてますが」

もろみ五郎「高齢者に向かって、幼児を扱うかの如き口をきく輩が後を絶たぬ。これについて論じたい」

職員A「論じるというより、ぼやきでしょう、とりあえずは」

職員B「そうそう。初回なんだから、肩肘張らずいきましょうよ」

職員A「そうだなあ、以前働いてた老健で、食後に皿を舐める男性利用者がいたんだな。全48名の多床室型施設だったんだがね、食事だって大所帯だ。その中で職員が

〇〇さん、お皿舐めちゃダメでしょ。

…って感じで、みなの前で大声で注意するんだよ。ベテランの女性職員で、性格の悪い奴だったから、さからうと面倒なので黙ってたけどね」

職員B「いますよねえ、そういうの。相手は自分らより十数年か数十年も長く生きてる大先輩だってことに、全く思いも及ばないんでしょうね」

職員A「そうなんだな。とにかくだな、おとなに恥かかせちゃ駄目なんだよな。社会人として、これは当たり前のことだと私は思うんだがね」

もろみ五郎「同感である。が、その手の輩はまだまだ掃いて捨てるほどいるのが現状だ。嘆かわしい」

職員B「いずれはいなくなりますかねえ。そんな連中って」

職員A「まあ、世代交代が完了するまで待つしかないだろうな。今はまだ、これしかないってことで働いてきた、いわば ”デモシカ介護士” が残存しているからな」

職員B「五郎氏なんて、その典型じゃありませんか。営業マン失格の烙印押されて、流れ流れて老人ホームで…」

もろみ五郎「人聞きの悪い言い方はよせ。私は市場経済不適合型なのだ。まあ、これについてはいずれ語る日がこよう」

職員A「何だかそっちの方が面白そうですがね」

(続く)

 

 

 

 

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過去の作品

日本人に日本語は必要か(1)

【われらは日本人であり、日本語を話して生活してきた。まったくもって疑いを挟む余地のない自明の理であるはずのことを、それがなぜなのか、と議論せねばならぬ時代が到来したのである。不毛の議論に終わるかもしれぬが、とにかく始めてみたい。もろみ五郎】

 

 

知識人「まず決めておきたいんだが、日本人、日本語という呼称については、この場では疑う余地なしとしておきたいんだな。そうしないと、話が全然すすまないからな」

文化人「そうですよねえ。前提事項の再検討から始めたら、いつまでたっても本論に入れませんからね。いいでしょう、それで」

知識人「当サイトでは、過去、と言うのも大げさだな、今月に入って数回、カタカナ語の是非について論じてきた。だが、すぐに行き詰った。末端の事象ばかり拾っても、課題は見えてこないし、徒労感に襲われてやる気をなくすだけだ、という話になったんだよな」

文化人「そうそう。だから、日本人が日本語を話すべき理由ってのを探ろうじゃないか、と」

知識人「さらりと言ってのけたものの、これ自体、かなり重いんだよな。わたしたちの存在理由にもかかわる重大事項だろう」

文化人「まあ、そうなんですけど、きょうは初回ですから、深刻ぶらずに楽しくいきましょうよ」

知識人「そうだな。では問うが、君はその理由を何だと思うね」

文化人「単純に言えば『日本人だから』ってのが答えになるんですけど、では『なぜあなたは日本人なのか』と続けて問われたらどうこたえるか。ぼくはここにすべての鍵あり、と思ってますがね」

知識人「うん、つまりそれは」

文化人「日本列島に棲みついて、延々と長い時間暮らし続けてきた民、それが日本人ですよ。だから、『なぜあなたは日本人なのか』という問いに答えると、『ずっと日本列島に住んできた民族だからだ」となりますね」

知識人「住んでまだ浅ければ、それは日本人とは言えない、と」

文化人「どうですかねえ、それは。日本人としての意識の問題もあるとは思うんですが、まあ、ここではおいといてですね、大切なのはですよ、この列島の大地と、山野や海・河と、ともに生きてきたのか、ってところだと思うんですよね。本来、民族と大地ってのは不可分の関係ですよね。放浪の民だったユダヤ人も、自前の国家を持ちましたしね」

知識人「日本列島で暮らしてきた民族、それが日本人である、ということだな。では、それが日本語を話すべき理由は」

文化人「この列島に育まれた民なんですから、そこで発生し、発展した言語を使用するのは当たり前でしょう。議論の余地なんかないことですよ」

知識人「ところがその、根っこのところが危ぶまれているわけだ。日本に生まれ育ったという、ただそれだけで、日本語を話さなきゃならない理由になるのだろうか」

文化人「大地と切っても切れない関係、というのはですね、その土地で、その言葉を話し続けてきたことで、ぼくらは大地と一体化した存在だと、ぼくは思うんです。

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過去の作品

スルー➡飛ばし、休み、無視その他

【AI作品の芥川賞受賞という衝撃も冷めやらぬ状態ではあるが、先に進めたい。カタカナ語をいちいち取り上げ、この場で議論する。それがひいては大きな力となってゆくと信じて始めたサイトであるが、早くも初心が揺らいでおる。さてさて。もろみ五郎】

 

 

知識人「今回は スルー だとよ」

文化人「飛ばしたり休んだり、あるいは無視したりする場合によく使われるカタカナ語ですがねえ」

知識人「だからどうなんだ、って気になるんだよな。安易に便利な言葉を使いたきゃ使えばいいだろ」

文化人「・・・早くも行き詰まりましたねえ」

知識人「大陸文化の波にのまれた古代日本人にまでさかのぼれば、舶来信仰の歴史については延々と語ることができるだろうな。だが、今それをやるからには、わたしたちの伝統とも言える島国根性を根絶やしにするぐらいの気概がほしいんだよな。ただぶつくさ言っておしまい、じゃなくてさ」

文化人「そうなんですよねえ。でも、そこまで周到な準備を経て始まった場ではないでしょ、ここは。もとはと言えばですよ、fc2でやってみた小話ブログ <物語道場! byもろみ五郎> がけっこう楽しかったので、あらためてワードプレスでやり直そうとしたんですよね」

知識人「そうなんだな。でも、すぐネタ切れしたため、今度は五郎氏の大好きなエルトン・ジョンを題材にした <エルトンジョン不滅論> に変更して再開した。が、これもあえなく沈没」

文化人「趣味に徹した方が長続きするんじゃないか、という読みは悪くなかったと思うんですがねえ」

知識人「ニュージーランド旅行記も二度やったよな、あれはおもしろかった」

文化人「楽しかったですねえ。英語もわからないぼくらが、生まれてはじめてオークランド市に滞在して」

知識人「しかしまあ、所詮、趣味は趣味だ。自己満足に終わりたくない、との気持ちがあって、しばらくお休みして、ようやく三たび始めたのが当サイトというわけだ」

文化人「これも続きませんかねえ。何だか不安だな」

知識人「きょうの題材に戻ってみたいんだがね、スルーという軽薄なカタカナ語を使う人がだよ、多くの日本語と比較して、まさに熟慮した上でそう口にしたとしたらどうなんだろうな。この場合、軽薄な行為とは言えないだろう」

文化人「そうなんですよねえ。ひとつの表現を正しく選択した、ということになるでしょうね、その人にとっては。例えばホラ、学者やなんかが、 ”ア・プリオリ” っていう仏語を使うでしょ。あれなんかも、これがもっとも適した表現なんだっていう認識があるんでしょうね」

知識人「まあ、無意識の衒学趣味がちらちら見え隠れしてはいるがね、適しているという認識なんだろうな。ちょっと違う話だが、精神医学者の神谷美恵子氏が、ものを考えるときは仏語の方が楽だと何かに書いていた。あれは嫌味でもなんでもなく、素直な感情だろう。こういうふうに、複数の言語を使いこなせる人は、頭の中で瞬時に比較しつつ、適切な言葉を選び出すのだろうな」

文化人「それは正しい思考作業ですよねえ。ただ、さっきの ”ア・プリオリ” なんかで言えば、何で日本語にしないのか、という、この一点に尽きるとぼくは思うんですよ」

知識人「そうなんだな。それが例えば、仏文学者を相手にした論稿か何かであれば、まったく問題にならんだろう。むしろ当然かもしれない。だが、いつだったかな、DJの小林克也氏が、 徹子の部屋 に出ていたときだな、こんなことを言ったんだ。

美しい日本語の中にいたい、と言いますか・・・

・・・残念ながら、だいぶ前の記憶だから、この前後の文脈を忘れてしまったんだがね、ああ、単なる英語屋さんじゃないんだな、この人は…とわたしは思ったんだ」

文化人「素敵な認識ですよねえ、それ。ぼくもまったくそう思いますよ。どんな議論をするにも、美しい日本語でやりたいんですよね」

知識人「それが民族の正しい意識だとわたしも思うよ。ただ、現代にのように、性別すら揺らいでいる時代においては、国家・民族・母語といった当たり前の、疑う余地などなかった概念に対してまで、疑いの目を向けねばならん。こうなればだね、ただカタカナ語はけしからん、では何の説得力も持たない空論に過ぎないんだなあ」

文化人「同感ですねえ」

もろみ五郎「ではどうすればよいのだね」

知識人「それを考えるのが、わたしたちの役割りですよね」

もろみ五郎「その通りである」

文化人「でもねえ、五郎氏、問題が深すぎませんか。こんなところでああだのこうだの言ってても、何の進歩もない気がするんですがねえ」

もろみ五郎「そんなことはない。何事もまずは話し合わねば前に進まぬ」

知識人「でもねえ、五郎氏、帰納的に積み上げていったって、行きつく先はただ荒野なり、って気がしてならないんですよ。こんなときは、演繹的操作が第一じゃありませんかねえ。どうです」

もろみ五郎「まずは目標を定めよ、ということかね」

知識人「まあ、そうなりますかね」

文化人「そうですよねえ、よし、あそこまで行くぞ、って示されていなければ、どうにも足取り重いんですよね」

もろみ五郎「最終目標は、われらやまと民族のなかにある島国根性を叩き出すことである」

知識人「ああ、それは最後の最後でしょう。いきなりそう言われても」

文化人「そうそう、遠大なる目標って、逆にやる気を失わせるんですよ」

もろみ五郎「では、カタカナ語の乱用という現状を直視しつつ、 日本人が日本語を使うべき意味または意義について論じてゆくか」

知識人「つまり、言語という対象に限って議論するということですね」

文化人「民族の未来とか、大陸の圧倒的影響を受けてきた歴史とかを分析するのではなくて」

もろみ五郎「そういった知識・認識は、もとより必要であろう。だが、当面の課題の解決に必要な情報として活用するにとどめ、いきなり<日本人とは何か>といった高度な議論に向かわぬよう留意しつつ、話をすすめていこうではないか」

知識人「それはそれで難しいですけどね。なんせ、日本人のなかから、母語だけを主題にするんだから。また議論が右往左往しそうな気もしますが、とりあえず、それでいってみますか」

文化人「そうそう、問題が大きすぎますからねえ、可能な位置から始めるしかないでしょうからね」

もろみ五郎「では、次回からそうしてゆこう」

(了)

2579字

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アンビルト➡未建築

【とんでもないことが起きたものである。なんと、生成AIを使った作家が芥川賞を受賞した。言語芸術の重要な部分を担う専門家が、機械の言葉をそのまま作品中に埋め込むとは。そして、そんなものを受賞作に選ぶとは。理解不能な珍事であろう。もろみ五郎】

*なお、姉妹サイト【よろずのことわり】でも同じ問題を論じています。ぜひそちらもお読みください。

 

知識人「まったく驚いた。なぜそんなものが選ばれるんだろうな。選考委員、いや、賞自体の方針はどうなってるんだ」

文化人「まったくですねえ。なんでも、5%ほどそのまま使ったらしいんですけど、何の臆面もなくそれをしゃあしゃあと話す受賞者の気が知れないですよね」

知識人「選考基準はどうなってるんだろうなあ。まあ、今の選考委員は戦後生まれの若い作家ばかりだから、新しいものに抵抗がないのは理解できる。だがな、上で五郎氏が言ったように、文芸だぞ、文芸。芥川賞っていうのは、純文学作品に与えられるはずだ。5%も機械語の混ざった小説が ”純” 文学なのか。選考委員は総入れ替えだな」

文化人「そうやったっていっしょでしょ、たぶん。同程度の作家たちがあとを引き継ぐんだから。ああ、情けないなあ。日本語って、本当に滅ぶんだろうか」

知識人「まあ、ことは言語だけの問題に限らんだろう。AGIなら人知の10倍、しかも安上がりだ、と、孫正義氏が語っている。そうなればもう、どれが純然たる人間の考えか、まったくわからなくなるだろうし、人間を不要とする分野も続々と誕生するだろうな」

文化人「そうなれば、文学賞なんて無意味でしょうねえ。見分けがつかなくなるんなら」

知識人「今回の受賞を契機として、さかんに議論されるようになるだろうな。ひょっとしたら、受賞者も選考委員も、運営元の文藝春秋社も、それに期待して選んだのかもしれないね」

文化人「でも、選んだってことはですね、肯定的だからでしょ。これからは文芸もこうなるんだっていう認識が、審査委員のなかにあるからこそ、おおやけにしたんでしょう」

知識人「賛否両論巻き起こるのは間違いあるまいなあ」

文化人「当サイトの基本姿勢はどうなんですか」

もろみ五郎「言うまでもなく、<否>である。許し難い暴挙としか言いようがない」

知識人「今後、どうなんでしょうね、芥川賞に続けとばかり、他の文学賞も」

文化人「当然そうなってゆくでしょうねえ。でも、そうなれば、言語芸術の歴史は終焉を迎えますよね」

知識人「終わりだろうな。芸術の分野の中から、<文芸><文学>という項目が消える日が来るんだろうな」

文化人「・・・いちおう、表題の アンビルト についても話し合っておきましょうよ」

知識人「ああ、これはだな、今回の受賞作の主題らしいんだが、受賞者が自分でそう話していたものだ。なぜ未建築と言わないのかは、議論するまでもないね。なんせ、機械語使用作家なんだからな、カタカナ語など問題にならんだろう」

文化人「AIの流れは止められませんからねえ、いつかこうなるって予測はできたけど、日本でいちばん有名な文学賞が真っ先にやることじゃないんじゃないかなあ」

知識人「おそらく、選考委員のなかにも、AI言語を活用して小説を書いてる輩がいるんだろうな。まあ、職業だから否定はしないが、少なくとも、文芸作家の肩書だけは返上しなければならんね」

もろみ五郎「諸君、これは、もっともっとひどいことの前触れだと思わぬかね」

知識人・文化人「思います」

(了)

1378字

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オープン➡営業中

【三歩歩けばカタカナ語にあたる。これがわが日本の現状である。カタカナ語がなければ、われらの日常は成り立たぬのであろうか。われら日本人の舶来信仰は、今に始まったことに非ず。それにしても、ついにここまで来たか、と感ぜざるを得ぬ日々である。もろみ五郎】

 

 

知識人「うちの近所の店の話なんだが」

文化人「また近場話ですか。行動半径狭いですねえ」

知識人「君だって、自宅と職場の往復じゃないか、お互い様だ」

文化人「まあまあ、話をすすめましょうよ」

知識人「わりと評判のいい餃子屋があるんだがね、埼玉かどこかでも見かけたから、チェーン店だと思うんだが、営業時間中は、こんな看板をおもてに立ててるんだな。

<営餃中>

・・・なかなか、しゃれがきいてるだろう。買ったことはないんだが、店の前を通るたびにうれしくなるんだな」

文化人「いいですねえ、その言語感覚は。そんな経営者がもっともっと増えてほしいですよね」

知識人「ところがだ、ほとんどどこの店を見ても、営業中は<OPEN>という札を掲げている。これを裏返せば<CLOSE>だ」

文化人「それは地方に行っても同じですよねえ。過疎地と呼ばれるような町でも、そんなのを見かけますよ」

知識人「悲しいなあ。なんで日本人ってこうなんだ」

文化人「まあ、冒頭の五郎氏の言葉通り、ぼくらの舶来信仰の歴史は古いですからねえ。島国だからあるていどは仕方ないって気もするんですけど」

知識人「自分たちの文化を誇れないっていうのは、民族として、何かが欠けているんだろうか。君はどう思う」

文化人「欠けているんじゃなくて、そういう民族なんでしょうねえ、ぼくらは。この列島に誰かが住み始めて、延々と長い時間が経ちましたけど、舶来信仰だけはしっかり受け継がれてるでしょ。これはもう、民族的特徴ととらえるしかないんじゃないか。ぼくはそう思いますけどね」

知識人「しかしなあ、けっこう悲しい特徴だよなあ、それ」

文化人「まあ、中華思想やユダヤ人差別よりは、はるかにましじゃありませんか。誰に迷惑かけるでもなし」

知識人「そう言われればそうだがな、でもなあ、それがいわゆる日本人らしさ、日本人的なもの、となると、いやいや違うんだ、と否定したくなるんだがなあ」

文化人「まあ、ものは考えようですからねえ、舶来信仰も、裏返せば、何かいい特長になるんじゃないかって気もしますがね」

知識人「舶来信仰を裏返すと、何になるんだね」

文化人「民族主義」

知識人「全然よくないじゃないか。外人さんいらっしゃい、の裏返しは、外人お断り、なんだからな。ちっともいい話じゃないよ。表と裏の中間あたりに何かないかなあ」

文化人「まあ、あるとすればですね、当たり障りのない平和主義か何かでしょ」

知識人「とげのある言い方だな。君はいつから極右的物言いをするようになったんだ」

文化人「とんでもない。ぼくは右でも左でもない、真の平和主義者ですよ」

もろみ五郎「君たち、論点がかなりずれておる。きょうの主題は オープン だ」

知識人「主題ってほどのもんでもないでしょう。要するに、営業中とか、店を開けるときなら 開店、とか、日本語にしようよ、って話ですよね」

文化人「このサイト、始まってまだちょっとですけど、なんだか意味のない対話をだらだら続けてるだけって気がするんですよねえ」

もろみ五郎「そんなことはない。前回も言ったであろう。いつか実になる日が来るのだ」

知識人「来ますかねえ、そんな日が」

文化人「そうそう、ただの自己満足で終わるんじゃありませんかねえ、この調子で続けても」

もろみ五郎「では、どうするのがいいと君たちは思うのかね。批判ではなく、建設的な意見を言いたまえ」

知識人「例えばですよ、きょうの オープン ていうのは、日々目につく日常的な単語ですよね。そういうのと、公的発言で聞いたもの、或いは、国の政策や方針にまで使われてしまっている英語、エレベーターみたいに、無理やり日本語化したら混乱を招きそうなもの、等々。いろいろと種類分けするべきだと思うんですよ」

文化人「そうそう、ただやみくもに話しても、結局いつも同じ結論に達するだけで、徒労に終わる気がするんですよねえ」

もろみ五郎「気が付かぬかね、君たち。今いろいろな意見が出たがね、これらはみな、ここで対話したから出てきた発想であろうが。まずはこの場に出すことが大切なのだ。話し合うことによって、方向性が少しずつ見えてこよう。きょう話し合ったことには、じゅうぶん意味があったのだ」

知識人「なるほどね。確かに、言葉を吐き出すっていうのは、さまざまな発想法の基本でもありますよね」

もろみ五郎「その通りである」

文化人「じゃあ、次回からもっとそういうふうに変えていきたいですねえ」

もろみ五郎「ワードプレスの扱い方が、いまだによくわからぬ」

知識人「勉強してくださいよ、そのぐらいのことは」

文化人「そうそう、勉強大好きなんでしょ、五郎氏は」

もろみ五郎「明日も早朝から出勤せねばならぬ」

知識人「言い訳はやめましょうよ」

もろみ五郎「わかった。構成上の工夫をしてみよう。乞うご期待である」

(了)

2085字

 

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テイクアウト➡持ち帰り

【カタカナ言葉の氾濫する、われらの日常。とりわけ、飲食店等で目について耳についてならぬのが、この ”テイクアウト” である。どこの誰が言い始めたのか知らぬが、持ち帰り品を提供する店が、言語害毒撒き散らし拠点となっておる。もろみ五郎】

 

 

知識人「いつだったか覚えておらんが、昼めしで牛丼を食べようと思い、近くの牛丼屋に行った。入口近くにいたお姉さんに『並ひとつ、持ち帰りでね』と伝えたんだ。そしたら、こう返してきた。

かしこまりました、テイクアウトですね。

・・・わざわざ言い直す必要があるのか、と怒鳴りたくなったがね、なんとかこらえたよ」

文化人「ありますねえ、そういうこと。もう、そこらじゅうにごろごろ転がってるでしょう。ぼくも同じく牛丼屋だったんですけど、そのときは店員が威勢のいいおにいさんでね、こう言いましたよ。

はいー、テイクいっちょう。

・・・ああ、これが日本語なんだ、って思うと、悲しかったですねえ」

知識人「前回の<ストップ>と違って、今回のは日本人には言いにくい音だろう。持ち帰りの方がはるかに自然だと思うがね」

文化人「ですから、そういう問題じゃないんですよ、前回話したでしょ」

知識人「単純に考えてだな、持ち帰り、よりもかっこいいという感覚なんだろう、きっと。これもいつだったか忘れたが、NHKというのは、

NIHON HOSO KYOUKAI (日本放送協会)

・・・の頭文字を並べてるだろ。これを知ったある男が、『かっこわるい』と言って顔をしかめたんだな。この男の感性というか感覚というか、これがまさにわたしたち現代日本人の多くに共通するものなんじゃないかな。わたしはそんな気がしてならんのだが」

文化人「同感ですねえ。最近は、何かを手に入れるとき、『ゲットする』なんて言うでしょ。基本動詞が舶来語に浸食される、と前回で論じましたけど、こういう例、いっぱいありますよねえ、もう、いやになるぐらい」

知識人「持ち帰りに関して言えばだな、たぶん、飲食業界が始めたんだろうな。理由はひとつだ。目新しさだよ。目立てば客が寄ってくる。そして、売り上げが伸びる。金になるとわかれば、母語の破壊など誰も気にしないんだろうなあ」

文化人「これからひとつひとつ検証していきますけど、ほとんどの場合、金の動きがからんでるでしょうねえ。金のためなら、他人の命なんかどうでもよく思えてくる人も多いでしょう。言葉なんて、伝わりゃいいんだから、と思えば、テイクやゲットを使って悪い理由は見当たらないでしょうね」

知識人「ううん、こうして話をすすめてゆけば、必ず同じところで立ち止まらねばならん。毎回毎回同じだ」

文化人「在り方、ですよね。ぼくたち日本人の」

知識人「そうだ。このカタカナ言葉問題をだな、テレビに投げかけてみろ、どうなると思う。バラエティ番組のかっこうのネタにされるだろうな」

文化人「低能な芸人、躾すらされず成人したアイドルなんかがしゃしゃり出てきて、ああだこうだと、聞くに堪えない劣悪日本語でしゃべりまくるんでしょうねえ。ああ、想像したくない」

知識人「そうやってテレビ化された問題は、社会的には一気に格下げされる。まともなおとなの議論として認められなくなるんだな。これこそ、テレビの重要な役割というものだよ。社会問題を戯画化して、人々の意識から消してしまう」

もろみ五郎「その通りだ。かくして、徳川時代から続く愚民政策は、21世紀の今も安泰というわけだ」

文化人「なんだか悔しいですねえ」

知識人「馬鹿が幅を利かせている時代だもんなあ。まともな人たちは沈黙を決め込んでしまうんだから」

もろみ五郎「かつて、ヒトラーが政権を握ったときもそうだった。まともな知識人などは彼を嫌悪し、相手にしなかった。そうしているうちに、人類史上最悪の国家が出来上がってしまった。21世紀世界も、同じ轍を踏むかもしれぬ」

文化人「そうならないようにしたいですけどねえ。でも、何をどうすりゃいいんだか」

知識人「そうだなあ、とりあえず、この場で問題提起し続けるとするか」

もろみ五郎「そうだ。何ごとも積み重ねなのだ。薄皮を一枚一枚重ねる如く、地味で地道なる仕事に徹する。これがわれらの役割である。肝に銘じよ」

(了)

1734字

 

 

 

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過去の作品

ストップ➡止まる、止まれ

【カタカナ言葉は、われらの日常に深く浸透し切っている。まあ、そういうものなんだから、仕方ないじゃないか、何がいけないんだ、という声が聞こえてきそうだ。ここには、われらはいったい何者なのか、という、根源的問いかけが横たわっている。 もろみ五郎】

 

知識人「先日の日曜日、うちの前の道を、小さな子を連れた若い母親が歩いていた。子供が急に走り出してね、驚いた親がこう叫んだんだな。

〇〇ちゃん、ストップ。  

文化人「で、どうなったんですか」

知識人「その子はきっちり立ち止まったよ」

文化人「もしもそのとき、親が『止まって』って言ったらどうなったでしょうね」

知識人「そのまま走っていったかもしれんな」

文化人「現代の怪談ですねえ、そうなると」

知識人「民族の恥、と言ったら、言い過ぎだろうか」

文化人「少々おおげさな気もしますが、じゅうぶん理解可能ですよ、その言い方なら」

知識人「ストップ、も、止まって、も、言いやすさとしてはほぼ同等だと思うのだが、まあ、ことはそんな問題ではないからなあ」

文化人「教育ですかねえ、やっぱり」

知識人「そういうことになるんだろうなあ。でも、あの母親、せいぜい30歳前後だ。てことはだな、1990年代の生まれだろう。あの恥ずべき異常なる好況の去った後だ。日本語の乱れということがさかんに言われ出したのは、もっともっと前だろう」

文化人「つまり、親自身が、乱れた言語環境のなかで育った、ってことですよねえ。それじゃ、子に教えるなんて無理ですよね」

知識人「そもそも、正しい日本語を教えよう、との認識が、現代日本人のなかにあるのかどうか。実に疑わしいとわたしは思うんだがね」

文化人「同感ですねえ。相手に伝わればいい、というのが、現代の言語感覚ですからね。言葉は民族固有の文化遺産であり、次代に継承すべき財産だっていう意識を、持ってる人がどれだけいるやら」

知識人「そうなんだな。そういった認識が大切だとの考え方は、誰かが教えないと身につかないものだろう。なかには、読書などで身につける子供もいるだろうが」

文化人「そんな子には、教える必要ないでしょう。本がなくても、自力で何か見つけますから」

知識人「止まる、という言葉は、日常生活のなかでひんぱんに起こる動作をあらわしたものだよな。動く⇔止まる。一日二十四時間、ずっと繰り返される現象だろう。これが外来語になってしまうのは、どうなんだろうね。かなり深刻な状況だとわたしは思うんだが」

文化人「まあ、しょっちゅうなされる動作だから、よけい使いやすいというか、使う機会が多いですよね。それだけ定着も早いでしょうねえ」

知識人「止まる、は基本動詞のひとつだ。それが舶来語にとってかわられるというのは、民族として、深刻に受け止めねばならない事態だろう」

文化人「まあ、ちょっと見渡せばいっぱいありますけどねえ、そんな例は」

知識人「そういうのを地道に拾って論ずるのが、このサイトの役割りなんだろうなあ」

もろみ五郎「そういうことだ」

文化人「五郎氏はどう思うんですか、基本動詞が舶来化してしまう事態について」

もろみ五郎「君たち同様、深刻に受け止めておる。だからこの場をもうけたのだ」

知識人「前回にも出ましたけど、言葉だけ議題にしても、改善の糸口もつかめないでしょうね。わたしたちの在り方そのものを問わなきゃならないんだから」

もろみ五郎「その通りだ。当サイト上でいろいろな例を取り上げ、一見したところは些末にしか思えぬ議論を繰り返す。そうしているうちに、方向性が少しずつ見えてくるはずなのだ。まずは話し合いの場に出さないことには、文字通り話にならぬであろう」

文化人「そうですよねえ、てことはですね、ぼくらって、けっこう重要な役割を担ってるって考えていいんでしょうか」

もろみ五郎「その通りだ。いずれは、幕末の志士たちにも劣らぬ使命を帯びることになろう。それまでじっくり、着実に、力を蓄えていこうではないか」

知識人「そうですね、地味ですけど、がんばりますか」

文化人「地道な作業になりますけどねえ」

もろみ五郎「われら庶民の暮らしとは、総じて地味で地道である。肝に銘じよ」

 

(了)

1702字

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過去の作品

リスペクト➡尊敬

【異常に氾濫し続ける、カタカナ言葉。カタカナを混ぜねば日本語に非ず、とでも言わんばかりの現状を憂うる者、かなりいるはずだ。当サイトは、そんな方々といっしょになって論じ、考える場である。我が母語よ、どこへゆく。 もろみ五郎】

 

 

知識人「ある芸能人がしゃべっているのを聞いていたら、 『僕が日ごろリスペクトしてる〇〇さんが云々』と言っていた。なぜ尊敬とか敬意を抱いているとか言わないのだろう。わたしは不思議でならんのだが」

文化人「同感ですねえ。それが彼らの日常語なんでしょう。我らが母語は、すっかり変な方向に進んでますねえ」

知識人「あの芸能人に向かって、 『なぜ尊敬という言葉を使わないんですか』 と尋ねてみればどうだろう、きっと不思議そうな顔をするだろうな」

文化人「まあ、英語を混ぜて話すのは、ずっとさかのぼって考えれば、大陸から渡来した帰化人たちが使っていた中華語や朝鮮語を珍しがったりありがたがったりして、我先にと使っていたいにしえの日本人と変わらないんじゃないか、って気もするんですがねえ」

知識人「根は同じかもしれんがね、なんせ今は、情報が一瞬で手に入る時代だろう。比較対象の圧倒的に少なかった当時と今とでは、真正面から比べるのはどうかと思うがね」

文化人「どうかと思う、ってのは何です、どう思うんですか」

知識人「今は選択肢がはるかに多いだろう。その中からカタカナ言葉を選んで使ってるんだから、現代の方が罪は重いだろうね」

文化人「罪、っていうのもどうかと思うんですが」

知識人「君も言ってるじゃないか。どうかと思うってのは何だ。どう思うんだね」

文化人「つまりですね、まあ、ちょっと話は違いますけど、男女っていう性別すら、今は確固たる概念ではないでしょ。こんな時代ですから、

日本人=日本語を話す人

・・・っていう考え方も崩れてるんじゃないか、と言えると思うんですがね。どうでしょうね」

知識人「確かにそうだな。愛国心だの祖国愛だのといったものの大前提ともなる、礎の部分が不確かになっている。なぜ日本語を使わないんだ、と問えば、なぜ日本語を使わなきゃいけないのか、と問い返される時代なんだろうな、今は」

文化人「こうして礎が崩壊してしまうとですね、今まで築かれてきた価値観やら何やら、すべて根こそぎ見直しってことにまでなりませんか。何だか、恐ろしいことになりそうな気がする・・・」

知識人「恐ろしいこともなかろうがね、まあ、今までの常識が通じなくなっているのは確かだ。さて、今回の<リスペクト>なんだがね、君ならどうするかね」

文化人「尊敬、ってのがいちばん無難な言い方でしょう。あとは、文脈次第では、尊重にもなるだろうし、立派な人、みたいな口語的表現で済ませていい場合もあるだろうし」

知識人「そうだな。言葉ってのは、前後の文脈によってずいぶんと変わるものだ。ところが、カタカナ言葉は、そんな頭を使わないで済むだろう。尊敬も尊重も敬意を示すも、みんなひっくるめて<リスペクト>の中に押し込めてしまえばいいんだからな。まさに記号だね、こういった使い方は」

文化人「でも、そういう傾向が延々と続けば、自分の頭で言葉を探せない・選べない日本人が大増殖するんじゃありませんかねえ。いや、すでにもう、そうなってるのかも」

知識人「まあ、その潮流はすすんでいるだろうな。はっきり言いたくない・あいまいにして済ませたい・・・こんな悪しき日本人らしさが、カタカナ言葉氾濫の背景にあるだろうね」

文化人「そうなんですよねえ。でもね、こうして言葉の問題について考えると、いつもぼくがぶつかるのは、(言葉のことだけ考えたって解決しないな。もっともっと根が深いな)っていう気持ちなんですね。例えば政治家の記者会見なんか聞いてても感じますよね、そういうことを」

知識人「まったくだな。カタカナ言葉大好き東京都知事をはじめとして、何の臆面もなく、日本語に外来語を混ぜて話す為政者や指導者が山ほどいる。テレビはもう、外来語も含めて、間違った言葉や汚い言葉だらけだ。こんな環境で育った子供たちがまともなおとなにならないとしても、彼ら自身の努力不足とは言えんだろうな」

もろみ五郎「君たち、きょうの主題は<リスペクト>である。何らかの結論を出したまえ」

文化人「もう出たでしょ、さっき。いくつかの言い方があるって」

もろみ五郎「あれが結論かね」

知識人「では、他にどんな結論があるというのですかね」

もろみ五郎「それを考えるのが君たちの役割りであろう」

文化人「きょうは第一回ですし、どうせ誰も読んでないんだから、このあたりでおしまいにしましょうよ」

知識人「そうそう。試運転ってことにしてくださいな、五郎さん」

もろみ五郎「まあよかろう。次回に期待する」

(おしまい)

1951字