いわゆる<レク>というものについて。あれ、本当に役に立ってるのか

【どこの施設にもある時間、<レクリエーション>。それなりの成果もあがっているようだが、果たして、利用者自身にとって必要なものなのか。やればやるほど、その意義が見えなくなってきておる。  もろみ五郎】

 

 

職員A「どっちかってえと、小回りの利く施設がレクにも強いよな。デイサービスなんて、得意中の得意分野だもんな」

職員B「同感ですねえ。うちにもデイ出身者がいますけど、レクの順番が回ってきたら、よっしゃ、って感じで、いきいきしてますよ」

職員A「そうなんだよなあ。実にうまくみんなを引っ張ってゆく。ちょっとした回想法の原理を応用した『きょうは何の日』とか、『○月生まれの有名人』だとかさ。輪投げやボール遊びで盛り上げたりもするよなあ。慣れてる人は手際もいいし、声掛けなんかも気が利いてる。どこの施設にも、レク名人が一人はいるだろうなあ」

職員B「同感ですねえ。まあ何はどうあれ、利用者さんたちの日々の単調な暮らしに活力を与え、より元気に暮らして行けるようにするのが目的でしょう。ただ、そう考えていくとですね、必ず同じ疑問にぶつかるんですよね」

職員A「なんだね、それは」

職員B「大正末期から昭和20年代まで、利用者さんの生年がかなり幅広くなってきてますよね。性別も、だいたい女性が多いけど、男性もいる。最年長者と最年少者では、親子以上に歳の差があります。こんななかでですよ、『はーいみなさあん、いっしょにやりましょうねえ』と声かけてひとまとめにしてしまうのが、果たして正しいんだろうか、っていう疑問ですよ」

職員A「そうなんだよなあ。なかには集団活動が苦手、きょうは部屋でのんびりしたい、みんなとちがうことしたい…80年以上生きて来られた方々だからなあ、いろんな要望があって当然だもんな」

職員B「そこなんですよね。本来、各自の好みに合わせた個別レクを用意すべきじゃないのか、って思ってしまうんですよ」

職員A「それだよなあ。実はそれが最大の課題だと言っていいだろうな。机に向かうのが好きな人でも、漢字が嫌い、とか、計算問題が得意、って人もいる。トランプ、花札といった、旧式のカードゲームが大好きな場合だってあるよな。いつだったか、特養にいた頃、すごく落ち着きのないせかせかした爺ちゃんがいたんだが、何と、じっくり腰を据えて将棋盤に向かうと別人みたいになったんだな。強くて、職員は誰も勝てなかった」

職員B「個別レク、ですか。理想的ではありますけど、実際には難易度高いでしょ。例えばグループホームの場合、同じような嗜好でグループ分けしなきゃいけない。仮に三つのグループができたら、それぞれに職員が一人つかなきゃならないですよね。でも実際、日中職員二人で回してるところがほとんどでしょ。統率がとれなくなっちゃいますよね」

職員A「そうなんだな。嗜好分けが三つで済めばいいが、全員バラバラってのもあり得るからな。そうなりゃ、九通りのレク案を持っていないといけなくなる。だいたいだな、レクってのは、おやつや夕食前の体操も兼ねてやるものだから、できるだけ単純で、かつ、適度に疲れを感じさせるのがいいんだよな。そう考えると、個別なんてめんどくさくてやってられねえや、って結論になるだろうなあ」

もろみ五郎「そうなのだ。利用者第一か、作業効率優先か。ここにも市場経済の論理が、しっかりと根を張っておる」

職員A「で、結論はどこへもってけばいいでしょう」

職員B「回数で調整すりゃいいんじゃありませんか。例えば月初めの土曜日は個別、それ以降は普段通り、っていうふうに」

もろみ五郎「うむ。それがいちばん現実的結論であろうな。月一回がしっかり定着して、もっと増やしてという声が上がれば、あと一回増やすとか。ただ、個別案件にはきめ細かい対応が不可欠なのだ。月一回だからと高をくくらず、一期一会の精神で取り組んでいただきたいものである」

職員B「ま、結局はですね、利用者さんたち一人ひとりが楽しんでくださればいいわけで、肩肘張らずに行きたいですねえ」

もろみ五郎「その通り。何ごともまずは続けることだ。使い古された言葉でこの記事を締めることになってしまうが、まさに<継続は力なり>なのだ」

(了)1724字

 

 

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です