レーガン元大統領:認知症になった有名人㈢。長女パティ・デイヴィスの手記をもとに考える。

【米国第40代大統領ロナルド・レーガン氏が自身の認知症発症を公表したのは1993年、氏が82歳のときだった。アルツハイマー型認知症に対する世間の目が変わったのはこのときからだと言ってよかろう。超有名人が堂々と明かしてくれたことで勇気づけられた人も多かったと思われる。当記事では、レーガン家の ”お騒がせ娘” パティ・デイヴィスさんの手記をもとに、元大統領の晩年の姿を追ってみたい。byもろみ五郎】

 

 

レーガン氏の経歴から見えてくるものは何か。

初老男A「2期8年務め上げたのはアイゼンハワー以来2人めだそうだ。あの頃わたしたちは学生だったが、政策はともかくとして、ずいぶん存在感のある大統領だなあ、と思ったものだよな」

初老男B「同感ですねえ。一貫してタカ派の強硬姿勢を崩さない人でしたけど、今のトランプとは違って憎めない人柄の持ち主だったと思いますね」

初老男A「民主党支持者にも愛されていたからなあ。まあ、氏の愛すべき人柄についてはいろんなところに書かれているから、ご存じの方も多いだろう。ここではまず、Wikipediaに従って、氏の経歴をざっと振り返ってみる。

1911年2月6日、イリノイ州にて誕生。幼いころから教会に通い、やがて信徒を前に説教するようになる。後年の演説力はこのあたりから養われていったか。

1928年に入学したイリノイ州のユーリカ大学で経済学と社会学を専攻した。

卒業後はシカゴ・カブスのラジオ・アナウンサーの職に。<ここでも語りが磨かれたことだろう>

1937年4月、ハリウッド進出。

1940年、一回目の結婚(ジェーン・ワイマンさんと)。

1952年、ナンシー・デイヴィスさんと再婚。ここで生まれたパトリシア・アンが後の作家パティ・デイヴィス氏である。

1963年、第33代カリフォルニア州知事就任。政治活動本格化。

1968年、大統領選挙に初出馬するが予備選で敗退。

1976年にも出馬し、フォード氏に惜敗した。

1981年1月21日、第40代アメリカ合衆国大統領に就任。同3月30日、狙撃される。

1982年、補聴器を使い始める。

1985年、大腸ポリープ切除。

1987年、前立腺癌摘出。

1989年、退任。

1993年、アルツハイマー型認知症を公表する。

2001年、自宅にて転倒し、以後寝たきりとなる。

2004年6月5日、自宅にて逝去。享年93。カーター、ブッシュ(父)、フォードに次ぐ歴代4位の長寿だった。

…以上、Wikipediaより抜粋。なお、< >内は筆者の所感である。

 

…とまあ、主なところだけ挙げてみたんだがね」

初老男B「本記事は『認知症になった有名人』の第三回ですから、第一回『橋幸夫』第二回『菅直人元首相』もお読みいただけるとうれしいんですよね。前回前々回もそうなんですけど、認知症発症の理由を経歴から探るのは無理だと思うんですよ。在任中から補聴器を使ってるし、病気の公表以前から認知機能は落ちていたっていう証言もあるようですから、ここからっていうはっきりした線を引くのは難しいですね」

初老男A「そうなんだよな。ただ、1982年以降を見ていると、老人ホームの入居者さんたちの既往歴と重なる部分も見られるんだな。軽い兆候というか、病的な何かで始まって、それがだんだん深まっていき、自宅で転倒して寝たきりとなる。施設に入所した方々にも似たような路をたどってきた例があるからね。こういった点は、橋幸夫・菅直人両氏よりもわかりやすいとも言える」

初老男B「まあ、橋幸夫さんは亡くなったばかりだし、菅直人元首相に至ってはいまだご健在ですから今後を見ないと何とも言えないですよね。今はっきり言えるのは、偉大な元大統領も川崎市の老人ホームのお爺ちゃんも、アルツハイマー型認知症に至る経路はたぶん同じで、経過も何ら変わらないってことですかね」

初老男A「そうなんだな。ただ、本人を取り巻く環境という点では著しく異なるんだよな。次章で詳しく見ていこう」

レーガン氏を支えたもの、それは家族の愛、そしてアメリカ国民の信頼。

初老男B「さて、ここからは以下の書籍をもとに語っていきたいと思います。

パティ・デイヴィス著/青木純子訳『長い長いさようなら~アルツハイマーと闘った父、レーガン元大統領に捧げる手記』竹書房刊・2005年12月29日初版

…実は原題が THE LONG GOODBYE ですから、チャンドラーと同じなんですよね。だから直訳したら同じく『長いお別れ』になってしまうので、訳者の青木氏が工夫したようです。父親に捧げる、となっているところから推察できる通り、とても心優しい記述に溢れていますね。まあ、悪く言えば全体的に感傷的な文章が多いので、最後には少々疲れましたがね」

初老男A「かつては両親と鋭く対立した女性だからな、本書の前に書かれたものには自分の親に対してかなり手厳しいことも書いてるようなんだが、そういった受難の時期を乗り越えて、すっかり和解した状態の関係が描かれている。アメリカではレーガン家のお騒がせ娘として有名だそうなんだが、日本では父親ですら忘れ去られようとしているからな。親子関係についてあらかじめ説明が必要だ。Wikipediaからの引用にある通り、彼女は父の再婚相手ナンシーさんを母として生まれた。のちにファーストレディとして世界的に有名となる女性だな。作家として活動していることからわかると思うが、感受性の強い子供だった。そして、父親の政治思想に反発し、リベラル派の集会などの常連となる」

初老男B「母の旧姓である<デイヴィス>を名乗ってますし、レーガンの遺伝子を残したくないとの思いから不妊手術まで受けてるんですよね。とにかく徹底して父の思想を嫌った。でも実は心の底ではレーガン氏を深く愛していたんですね」

初老男A「そうなんだな。随所に幼い頃の思い出話が出てくるんだが、夜空にある星座の見つけ方や、タカとノスリの見分け方を教わった話、飼っていた馬や犬が亡くなった際の父娘の会話など、実に素朴で美しいエピソードが多い。彼女にとってはかけがえのない存在だったんだな」

初老男B「パティさんは、5歳になったときにはガラガラヘビの見分け方やその対処方法も知っていたそうですから、レーガン氏、多忙ななか家族との交流にかなりの時間を割いていたんだな、ってぼくは感じましたねえ」

初老男A「同感だな。彼女が幼い頃すでに政界進出への意欲を示していたから、あっちこっち奔走する日々だったんだろうな。政治的には最期まで父娘の歩みよりはなかったようだが、晩年の仲睦まじいい親子関係は、幼い時期に父から注がれた無制限の愛があってはじめて可能だったんだとわたしは思うんだ」

初老男B「そうですよねえ。おそらくレーガン氏のなかには、家族か政治かといった二項対立は存在しなかったんですね。つねにどちらにも全力を注いだ」

初老男A「俳優から大統領へと華麗なる転身をはかった人物だが、パティさんが幼い頃には俳優業がふるわず貧しかったそうだ。生まれたばかりの娘のために貯めていた小銭の入った貯金箱を掃除婦に盗まれてショックを受けたなんてこともあったようだね」

初老男B「そういった話も、レーガン氏の明るいキャラにすんなり吸い込まれてゆく感じがするんですよね。現職のトランプ氏や、その後釜を狙うバンス氏など、アメリカの頂点やそれを目指す人物は野心でギラギラしてますけど、レーガン氏にはそれが感じられなかった。もちろん、強い野心があったでしょう。でもそれを感じさせない何かが備わった人物でしたね」

初老男A「晩年、誕生会に出席した共和党の政治家たちに対して、パティさんはとても辛辣な批評を加えているね。『第二のレーガンになる』と公言したロバート・ドール氏に(馬鹿なこと言わないで)と不快感を示す。ジム・ベイカー他数名を ”二枚舌” と吐き捨てる。思想や政策には反発し続けたが、米国への愛と信頼を基盤とした純粋な父の取り組み姿勢はつねに尊敬に値するものだったんだな」

初老男B「そんな父だからこそ、パティさんは自宅のある東海岸から両親の住む西海岸へと、頻繁に往復を繰り返してお世話し続けたんですね。さて、最晩年のレーガン氏がどんな様子だったのか、パティさんの文章の中から拾ってみたいと思います。

1995年11月、ロサンゼルスの海辺にて:暑い日だったが、父は長袖のシャツの上にセーターを重ねていた。昔は夏ともなると海水パンツ姿のまま一日じゅう浜辺ですごし、いつも体からコパトーンのにおいがしていた父だったのに。

自転車道にたたずんでいると、父に気づいてにっこり笑いかける人たちがいた。そうしながらも奥ゆかしい彼らは、それ以上踏み込んでくることはない。

ちょっと一言、あいさつだけさせてほしいと丁重に申し出た男性も、敬意に満ちた態度で父にそっと声をかけ、父と握手をかわすと、「ちょっとごあいさつがしたくて」と言っただけですぐに立ち去った。言葉のやりとりがむずかしい病だとわきまえてのことだろう。

1996年4月、ロサンゼルス:父がだんだんちぢんでいく。以前は身長が180センチ以上あった父のそばに立つと、175センチのわたしでも父の顔をちょっと仰ぎ見る格好になったし、ハグをするときは爪先立ちをしたものだ。それが今では見つめ合う目の高さも同じだし、ハグもかかとをつけたままでできる。脚もずいぶん瘦せほそり、かつてのスポーツ選手のような筋肉は見る影もない。

しかし肉体とは別の、人となりというか、父のエッセンスのようなものは以前より強く感じられる。 ”持ち味” とか ”彼ならではの個性” としか呼びようがない。あの謎めいた、人をなごませる気質が前面に現れている。病は父の体を徐々にそぎ落とし、別の何かに作りかえようとしているのだろうか。

(中略)

ちょうど両親の家にいるときに主治医と会う機会があり、父の症状が進んでいるのに気づいたかと訊かれた。

「ええ。でもそれとは別に、父は去りたい気持ちと、とどまりたいという気持ちに引き裂かれているような気がするんです」とわたしは答えた。

さらに父の気持ちを代弁するわたしを見つめながら、まるで冗談でも聞かされているかのように医師は眉間にしわを寄せていたが、ようやく口を開いた。「お父上はそんなふうに論理的に考えられないんですよ。アルツハイマー患者はそういう選択をする神経細胞が死にかけているので、感情はあっても、意思のともなう選択は…」

わたしは何も神経細胞や脳の話をしているわけではなかった。そこをわかってもらいたかった。「魂のレベルの話をしているんです」そう言ってみたが、まともにとりあってくれなかった。

1996年5月:父の世話をしてくれている男性―ふたりいる介護士のひとり―に向かって、父が何の脈絡もなくだしぬけに、パティはどこに行ったのかとたずねたという。今日は来ていないと彼が答えると、父は椅子を指さし、「そんなことはない。さっきまでそこにすわっていたじゃないか」と言ったのだそうだ。

2004年6月5日:昼になり朝霧もすっかり消えたころ、父の呼吸がさらに弱まった。もうだめかと何度思ったことか。全員が父をとりかこみ、父をいとおしそうになでさすったり、愛していると声をかけたりした。(中略)午後一時少し前、いよいよだ。肺に酸素がいきわたらないほど浅くなった父の呼吸がそれを告げている。

父の顔は母のほうにかしいでいた。

とそのとき、父の目が大きく開いた。焦点も定まり青く澄んでいる。一年ぶりに見る青さだ。父はまっすぐに母を見つめ、一、二拍そのまま見つめてから再びまぶたを閉じると、呼吸がやんだ。

しんと静まりかえった部屋に嗚咽だけが聞こえる。

…最期の瞬間、最愛の妻をじっと見つめたんですよね。このときナンシーさんは小さくこうつぶやいたそうです。

あなたから何よりの贈り物をいただいたわ(同書303ページから)

…これはドラマじゃありませんからね。真実のみが持つ感動に、ぼくは胸を揺さぶられました」

初老男A「まったく同感だな。ナンシーさんはのちに、難病治療に関わる運動を始めたとのことだ。おしどり夫婦という評判を超える結びつきだったと言っていいだろうな。ただ、レーガン氏の幸せな晩年は、その恵まれた生活環境と境遇を抜きにしては語れないってことを最後に付言しておきたいね。元大統領だから、年金その他、国家による手厚い保護があった。住まいはロサンゼルス郊外の高級住宅地、ベルエアだ。最晩年は、自宅に24時間体制で看護師が付いた。お散歩はもちろん車の送り迎え付きだ。認知症発症後は、ナンシーさんの発案で、自宅にホワイトハウスの執務室を再現して、氏はそこで過ごしたらしい。かくも恵まれた環境で、さらに家族による温かい支援があったからこそ、アメリカンドリームの体現者としての威厳を保ったまま棺に入れたわけだ」

初老男B「そうなんですよね。それに、認知症グループホームなんかではよく見られる奇行なども、たぶんあったと思うんですけど、手記には一切書かれてません。だから実際の様子が正確にはわからないですけど、それでもまあ、施設で看取り介護になって寂しく息を引き取ってゆく一般の認知症者よりはずっとおだやかに、安らかに亡くなったことでしょうね」

まとめ

初老男A「そうだなあ。超有名人だからある程度美化されている印象は受けるんだが、まあ、この人が公表したおかげでアルツハイマー型認知症への世間の理解がぐっと進んだこともあるし、最後の最後まで大きな仕事をしてくれた人物だと言っていいよな」

初老男B「現役時代は頭と体をフル回転させて大活躍したレーガンさんでも、脳の老化からは逃れられなかったってことですね。発症原因はいまだ解明されてませんから、そうですね、元首相も元大統領も認知症になったんだ、誰がいつなるかわからないぞ、ぐらいの認識でいいんじゃないでしょうかね。レーガン氏ほどではなくても、とにかく現役社会人として目いっぱい働いて、引退後は思い切り人生を楽しんで、それでも呆けちゃったら誰かの世話になればいいんですよ」

もろみ五郎「いかにも。ただ、家族との良好な関係を普段から築いておくことは欠かせぬであろうな。パティさんは北米大陸をしょっちゅう横断しては父の世話にいそしんだ。東京⇔大阪間どころではないぞ。とんでもない長距離だ。それを可能にしたのは何より愛の力であり、そして経済力だ。下世話な結びになって申し訳ないが、いっぱいの愛とほどほどのお金。これらがあれば、認知症になってもそれまで通り幸せに暮らせるということだ」

(了)

5940字

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